最近出かけると、なぜか弁才天ゆかりの地にたどり着く。しかし有名な不忍池辯天堂にはお参りしたことがない。そこで先日行ってみると、境内が石碑だらけだった。
魚塚。東京魚商業協同組合が建てたらしい。
めがね之碑。デザインされているのは徳川家康のめがねだという。
ふぐ供養碑。
鳥塚。この写真ではサイズ感が伝わらないが、ゆうに3メートルはあるだろう巨大な石碑だ。
スッポン感謝之塔。この石碑だけ、なぜか「感謝」となっている。
庖丁塚。
扇塚。
鳥や魚、スッポンのような生き物と並び、めがねや扇、庖丁のような無生物も供養の対象となっている。いずれも弁才天とはあまり関係がなさそうだが、なぜ境内にこれらの石碑があるのか。調べると、東京新聞の記事が見つかった。
弁天堂などによると、殺生を禁じる仏教で慈悲の行いとされる「放生」の池に見立てて、商売でそれぞれの生き物を扱う業界団体が感謝と供養の意味で建てた物という。
この記事にはこれ以上の説明がなく、なぜ不忍池辯天堂の池が選ばれたかはわからなかった。だが、おそらくは戦後の闇市から繁華街となっていった上野という土地柄だろう。同地の歴史がもっと知りたくなった。